存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

幽昧に踊る蝶

 

 なんのために、何かを為そうとするのか。自分を意味づけたいのか。ただ在ることに耐えられないのか。社会に晒されてしまうのか。逃れられない自己と他人。絶えず影響し続ける肉体。ただ、ただ歩き続ける。

 哲学を欲したのは、正しくあろうとしたから。何が正しさかわからず、それでも正しさの解を求められると思ったから、憧れたから、哲学に興じた。往けども往けども道はわからず、知も情も足りず、沼に嵌って奥へと進めないでいる。より深みへと、ただただ深いところを目指して、歩き続ける。そうして砂時計の砂は刻刻と澱みへ堕ちていく。

 私が本当に知りたいのは明確な真理ではなく、生きているそのものに触れたい。近づきたい。それだけなのだ。認識も存在も、生きていることに付随するものに過ぎない。私は生きているのだ。生きたいのだ。認識の果て、あるいは始まり、それをただ実感したいのだ。それは宗教的な神秘と言われるものなのかもしれない。それでも心の像ほど確かなものはない。錯覚となれども、自分において確かなものは自分からしか生まれない。あらゆる真理は生によって獲得される。

 全き存在へと駆り立てるものは何か。自らがなりたいものへの憧れか。夢か。欲か。雨よ降り続け。幻を流してくれ。雨音よ、響け。私の心臓が聞こえぬように。そうしなければ追憶が哀しみを運んでくるから。雨よ、止まないで。