存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

真っ蒼な空に浮雲ひとつ

 

 ここ数日のお昼は暖かい。春を感じる。学生の頃ほど実感は湧かないが、春は出会いと別れの季節。私もまた誰かと離れ誰かと出会う。私たちには一人一人親がいて、親にはまたそれぞれ親がいて、そのまた親には親がいて…。そのうち誰か一人でも違ったら、出会わなかったら、私たちは出会わなかったでしょう。それが一期一会が大切だということなんだ。これは中学生の時分、定年間近の国語の先生が出会った最初に話してくれたこと。だから、先生は毎年毎年変わる生徒たちと向き合うために、一番初めにそのように話して気持ちを新たにするらしい。

 私もまたこのまま時が流れると、今近しい人と離れ離れになるだろう。自ら望んだことなのだから、自分の中ではとうに想像していたし、そのために心の準備もしていた。よほどの思い入れがなければ、恋仲において距離は大切な要素だ。自分の中に気持ちを置いておけるのならばよいのだが、なかなか接点がなければそうもいかない。日常の中に埋もれてしまう。恋人といっしょにいるのは幸せである。時に友人といるのは楽しい。けれどそれだけだと物足りない。そうして時を過ごしていると、自分の中で、そんなぬるま湯に浸かっててよいのか、という問いが突きつけられる。すべてを否定するわけではないけれど、自分の在り方として納得しない部分がでてくる。そうして私はひとりになる。周りを遠ざけていく。自分の世界がおもしろくて、もやもやとした概念の渦にのまれていく。

 孤独と自立は違うんだよ、と彼女はいう。孤独に魅入られた私はどこに行けばよいのか。どこまでも澄みきった空を泳ぎたいと思ってしまうのだ。森に生える木々よりも、砂漠の雑草の方が身に合うのだ。生きているというのは自分の価値観を試す場であり、自分は結果であり、粘土細工だ。あまり上手くはない。不格好な粘土細工。けれど愛着はある。今までそれなり苦労して作ったのだから。ぶっ壊して一から作れたらと思わなくもないけど、同じにはならないだろう。なら今の自分を好きになろう。