存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

日記

 

 ひさびさに駄菓子屋でお菓子を買う。見慣れたお菓子が並んでいる。袋にはむかしから変わらぬ絵が描いてある。うまい棒チュッパチャプスの大きさはこの程度だっただろうか。今見ると小さく思える。自分の掌が大きくなったからだろうか。生きている今にあるのは切なさと儚さであり、過去には憧憬があるように思う。時間の流れは経験をじんわりと温かな思い出とする。

 

 近所のブックオフはいつも半額セールをやっている。おかげで立ち寄るとついつい本を買っては嵩張り、読み終わっては捨てる、というような感じで、わたしも立派に消費社会に跪いている。久々に小説を読むと、すいすい読めて気楽に感じる。普段読む文章は理解しにくいからだろう。フランス現代思想の案内書を買ってみたが、正直下知識不足か書いてあることがよくわからない。いちいち数学記号に意味を付与するから、それを把握するのが疲れる。その記述方法にわたし自身慣れていないからだ。新しい哲学より、古来の哲学の方が芯に響くのは、わたしは明確な答え、絶対の真理、完璧な論理などを求めているのではなく、自身が世界とどう向き合うのか、詩人的観想世界に焦がれているのかもしれない。哲学はそれぞれの人がどうこの世界と向き合ったのかの軌跡である。だからわたしは哲学を好むのだろう。哲学から離れられないのだろう。