存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

 記憶は今ある自分から見た情景である。「思い出」はより主観的であり情念が込められているように思う。「記憶」はある程度距離を置いた客観が入り込む。それらは常に過去という時間軸を孕んでいる。これは主観的な時間感覚である。それらは追体験である。追体験であるから、全く同じものではない。すでに経験したものである。記憶はより情報という言葉の概念へと近づいている。思い出にはより遠い時間感覚を必要とする。時間が経つにつれその時々に実際に受けた衝撃は朧気になっていく。衝撃は直観的であり、一呼吸過ぎれば、消え去る。あとには追想だけが残る。認識は時間を背骨にする。それゆえ不可逆性を持つ。記憶は自らが整理した事実の羅列であり、思い出はそれらを受け自らに生じた感覚の追想である。人は習慣を持つ。それゆえ無意識に経験に行動を左右される。意識的に異なる行動をとることも可能である。人格が行動言動の体系化あるいは行動言動に至る過程を表現した結果であるならば、記憶‐思い出‐体験が人格を形成する。体験はより肉体的感覚、肉体的環境世界を受けたもの。それらは思考を経ることなく自己に入り込む。思考は肉体的感覚を追随する。