存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

意味のない意味の羅列

 雪の白さに何思う。なぜ生きるのかに明確な解はない。わたしが問い極められるのは生がどのようであるか、ただそれだけである。なぜ生きるかは各人の納得に他ならない。そうあるように生きている。ただそれだけである。

 

 誕生日というものがある。人は生まれた日を憶え、毎年の周期をつくり、その日になるとお祝いをする。一年もすれば、体の構成物質は変わる。そもそも何年も前の日の明確な限定など文化的側面からはできても、物理的には全く意味のないものとなる。時間をつくるのは人である。時間の区切りとでもいうのか。変化量を決めるのである。太陽が昇ってまた沈む、このサイクルがなんだというのだ。それを一日としたのは人ではないか。

 

 存在…か。あらゆるものの根本の共通性質。土台。全きもの。西田は規定しえない無を置いたが、規定されないことと根源であることは互いに成り立つ…?存在なくして本質はない。「ある」という状態はどんな状態だ。何があるんだ。机がある、というときのあるは視であり触であり質である。では机と同等の視と触とが成り立てば、机があるということなのか。感覚と認識は同じではない。物と心は同じことを別のアプローチで表現するという。身体感覚は思考の一部であるが、情報となることで感覚そのものとは離れる。

 

 自身が真理でありたいとする欲望。自分の見るものを信じてしまう前提。いや、見たものが自分自身なのだ。対象の中にしか自分は見えてこない。人の情景を彩る憧憬。文法の中に、言葉の中に飼われる人々。抜け出しえない遺伝。またそれによってつくられる自分。痛み。祝福。喜び。光。空間の果て。根窮の闇には何が見える。何がいる。概念の狭間に浮かぶ亡霊たち。