存在の羽音

気ままに。自分と向き合う場所。自分を見つける場所。チラシ裏の独白。

一粒の砂

砂時計をじっと眺める。じりじりと落ちていく砂。流れているのは生命の燈火。 目的もなく漂っている。 世の中がまぶしい。 おぼろげな、自己意識。 階段を踏み外すような不安定感。 それでも私は、この世界を愛したい。 目に入る景色を抱きしめたい。 流れる…

流れ流れて早や九月。あれよあれよと早や十月。見下ろす月は満面の笑み。もっと速く逃げねば兎が背中に迫っている。そうして逃げながらも、私は烏を追いかける。 転んだっていいじゃない。追いかけっこはまだまだ先まで続いている。疲れたのなら休めばいい。…

幽昧に踊る蝶

なんのために、何かを為そうとするのか。自分を意味づけたいのか。ただ在ることに耐えられないのか。社会に晒されてしまうのか。逃れられない自己と他人。絶えず影響し続ける肉体。ただ、ただ歩き続ける。 哲学を欲したのは、正しくあろうとしたから。何が正…

贖罪

ふとしたことであの頃を思い出す機会があった。それでも、あまり憶えていない。それでもなお残滓が漂っている。ぼんやりとした体感の中で、埃が舞っている。なんなんだろうな、やりきれない感じだ。そしてあまり憶えていないことにもまた、やるせない思いが…

夏の思い出

夢を見た。祭りの夢を。それは今と昔をツギハギにした物語だった。昔連れていた女の子と同じように、今連れている女の子が振る舞っていた。祭り、ただそれだけで季節の移り変わりを想い切なくなる。提灯の明るい朱色が瞳にあの頃の景色を焼き付ける。その切…

道端

ひとつの命が砕けていた。何度も出会っているだろうに、そのもの自体を認識したのはモノとなってしまってからだった。まだ新鮮で温かかった。実際には温度はわからない。触ってはいないのだから。けれど、モノになってすぐであると、ただそう感じた。そいつ…

ペンキを塗りたくるような雨が降っていた。分厚い綿埃が空を覆い隠している。日が暮れようとしているのか、明けようとしているのかわからず、ただぼんやりとした光が視線を色づける。降り注ぐペンキは私を何色に染めるのだろう。どこまでも止まない、雨よ。…

ゆらゆらと

自然しかない、ありのままの空もよいけれど、切り取った視界のなかに電線があっても悪くないものだ。風が吹くとその人工物はゆらゆらと揺れるし、風の強い日には鞭のようにしなっている。一度吹いた風は、同じ場所にとどまることはもうなく、地球を駆け巡る…

道の行く末を眺めている。行ったことはない。いつも近場をウロウロしている。遠くへ行っても飯にありつけるかはわからない。では俺は毎日餌のために生きているというのか。生きるために餌を食うているのか。どっちなんだ。

日暮

ご無沙汰している。書くことは自分と向き合うこと。今晩は、わたし。何を書こうかしら。何が心を作っているのかしら。その対象が見えるから、わたしたちは心としてそれを捉える。先日、ひさびさに手紙を書いた。慣れないものはなかなかやり難いものだ。書く…

お花見

この前お花見行きました。 桜は如何撮ったらよいかわかりませんね。構図が決まらない。 昼のお花見も夜のお花見もどちらも好きです。

海の見える部屋

バタバタと慌ただしく三月は過ぎました。ようやく引っ越しも終わりインターネットもつながり、少しだけ落ち着きました。自然はいいですね。晴れた日にどこまでも水平線が見えるのは、心も広くなります。解放感でいっぱいになります。お魚が美味しいです。生…

淡い空の色

もうすぐ自由な休暇ともお別れ。忙しい日々がやってきて目の前のことでいっぱいになるとただそれだけに生きてしまう。そうなると余裕も失われ、気を張って、大変なことも多くなる。ずっとそうだと疲れてしまうけれど、人は不思議なことにその環境に間もなく…

日の光はそれだけで上向きのイメージを持っている。夜の淑やかな肌触りも心地よいけれども、レース越しに突き抜けてくる光もまた心地よい。一日一日時が過ぎてゆく。儚い日々。朝目が覚めて、今日も一日大切にしよう。そう思える朝が私は好きだ。ふとすれば…

春でむん

春ですね。来週はまた少し冷えるのかもしれませんが、あたたかいです。読書が進みます。いや季節に関わらず読書は進みます(笑)一週間で本棚に増えた冊数が12冊ほどかと。今は恋人の家でぐーたらして(家事はします)週一で自宅帰るような生活なのですが、…

落伍者

本を読んでは酒を飲むという至極素敵な日々を過ごしている。相方には人生の落伍者と揶揄されるが、人生張りつめていちゃあ疲れてしまう。休息も必要だ。目の前に次のやることが見えていて期限が定まっているのなら、それまで如何過ごそうとも私の勝手であり…

数日振りの自宅

ただいま我家。とりあえず食い扶持のあてはできたので来月からも生きることの条件は満たされそうだ。よかったよかった。数年の間自然に還りますので、ルソーの心持にでも思いを馳せましょうか。引っ越しの準備をしなくてはならないけれど、ひと月ほど時間に…

雨模様

健康である時に、健康について考えることはあまりない。不健康であるから健康について考えるのである。先日牡蠣にあたったらしく、苦しい思いをしたものだが、まだ消化器官が万全ではないようで体が弱っていることを感じる。栄養を吸収するところの胃腸がよ…

真っ蒼な空に浮雲ひとつ

ここ数日のお昼は暖かい。春を感じる。学生の頃ほど実感は湧かないが、春は出会いと別れの季節。私もまた誰かと離れ誰かと出会う。私たちには一人一人親がいて、親にはまたそれぞれ親がいて、そのまた親には親がいて…。そのうち誰か一人でも違ったら、出会わ…

つらつらと。

人間には食欲、睡眠、性欲、の三大欲求があると言われるが、それらが時と場合に応じて満たされるのはなぜか、という問いを相方から受けた。私が思うに、“時と場合”という表現には基準、尺度が含まれており、それは社会性ならびに文明、他者存在、自己と自己…

日記

ひさびさに駄菓子屋でお菓子を買う。見慣れたお菓子が並んでいる。袋にはむかしから変わらぬ絵が描いてある。うまい棒やチュッパチャプスの大きさはこの程度だっただろうか。今見ると小さく思える。自分の掌が大きくなったからだろうか。生きている今にある…

記憶は今ある自分から見た情景である。「思い出」はより主観的であり情念が込められているように思う。「記憶」はある程度距離を置いた客観が入り込む。それらは常に過去という時間軸を孕んでいる。これは主観的な時間感覚である。それらは追体験である。追…

意味のない意味の羅列

雪の白さに何思う。なぜ生きるのかに明確な解はない。わたしが問い極められるのは生がどのようであるか、ただそれだけである。なぜ生きるかは各人の納得に他ならない。そうあるように生きている。ただそれだけである。 誕生日というものがある。人は生まれた…

私的混沌

自分が何者かなんて、簡単に応えられるものではない。聖書もコーランも元は一つでも多くの解釈を呼び込み、現代まで膨大な数の概念の階層を構築しているだろう。聖書やコーランに及ばずとも自分という在り様、結果、事実はひとつにしてもそれを読み取るのは…

食べる

人は毎日何らかのものを食べて肉体を維持している。わざわざ肉体と精神とに分ける必要もないが、すなわち心もまた食べることによって成り立っている。毎日毎日、食べるということに対して、なんらの違和感もなく、時間が来れば、あるいはお腹が空けば人は食…

書く

「書く」という行為は自己の内奥への働きかけであると同時に、他者存在への志向を呼び込む。なぜならば「書く」という行為は自己において客観に位置するからである。感じたもの、思考に至る前の混沌の状態を直接的に表すことはできない。それは自己と他者と…